名古屋の「アバンギャルド」な、お寺の鐘
2013年9月26日
皆さんは除夜の鐘を鳴らしたことがありますか。
寺院にある鐘を年末年始に「ぼーん」と鳴らすあれです。
あの鐘なんですが、梵鐘と言われているそう。
どこの寺院も、だいたい同じような形をしているイメージがありますが、その常識を覆す梵鐘が存在していると聞きつけて、早速行ってきました。高速道路が走る大きな通りを脇道に入り、喧騒な市街を抜けだす。そこは一歩踏み入っただけなのに、辺りには日常の落ち着いた静けさが漂っていました。
行き交う車の多さに、身の危険を感じながら自転車を漕いでいた僕はほっと一安心し、iPhoneで周辺を検索。そのナビゲーション通りに進むと、住宅街の中に薄い緑の屋根が見えてきました。目指していた場所に辿り着いたようです。
今日の目的地は、名古屋市北区にある「久国寺」。
立派な門をくぐると、目の前には大きな本堂が見えます。堂々たる佇まいで、圧倒されました。来る者拒まず、と言ったところでしょうか。ただ、今日の目的はこのお寺にある「梵鐘」。
視線を入り口側にやると、入ってすぐ右手にそれはありました。
鐘の上部に突起物が飛び出している、不思議な梵鐘。
今まで見たことのあるものとは、明らかに違います。ただ、違和感を感じるということもなく、妙に馴染んでいました。普通のお寺さんにはなさそうなデザインですが、この梵鐘、なんと「岡本太郎」が制作したとのこと。
「芸術は爆発だ」という言葉で有名なお方です。
大阪万博の「太陽の塔」や、Chim↑pomというアーティスト集団が渋谷駅にある壁画に絵を付け足して物議を醸した”事件”がありましたが、その壁画も「明日の神話」という岡本太郎の作品です。なぜ岡本太郎が梵鐘を制作したんだ?という疑問が浮かんできて、経緯などお話を伺おうと思っていたのですが、住職さんは不在のご様子。残念。
久国寺は、慶長年間(1596〜1615)に建てられました。
1662年には、現在の場所に移されます。久国寺を名古屋城から見ると、ちょうど北東の位置にあります。これは、名古屋城の鬼門除けとされたため、この位置に建てられたんだそう。北東からは邪悪な鬼が出入りすると言われているから、なんですね。歴史のある久国寺ですが、どういった経緯で梵鐘がつくられたのか、調べてみました。それは1965年のことでした。住職が知人を介して岡本太郎を紹介してもらったことがきっかけで、製作依頼をしたんだそう。岡本太郎は依頼を受けた時「今までにない鐘、人が見たらあっと腰を抜かすような鐘を作らなければならないと思った」と話していたそうです。大阪万博が1970年でしたので、それよりも前の話なんですね。
この梵鐘は「歓喜の鐘」という名がつけられていて、曼荼羅(マンダラ)をイメージして作られました。マンダラとは、仏の悟りの境地、世界観などを、視覚的に表したもの。よく見ると、角は人の腕のようです。それ以外にも、瞑想する仏様や、動物のようなものなど、あらゆるものが表現されています。
「鐘の音は、宇宙に向かってひろがっていく。ならば形もそうであってよい」。この思いを表現したのが、「歓喜の鐘」だったんですね。ちなみに、太陽の塔にも、この鐘と同じような「角」があります。太陽の塔制作にも影響を与えたのかもしれませんね。自らの作品をガラス越しで展示されるのを嫌った、岡本太郎らしさがにじみ出ていた梵鐘でした。
「歴史的なものと現代アートの融合」みたいなものって最近良く見かけるようになりましたが、イベントなどの一過性のものではなく、ごく自然に人々の生活の中に入り込んでいる珍しい事例かなと思いました。
気になった方、ぜひ行ってみては。