瑞穂陸上競技場から発見された「意外」なモノとは?!

2013年10月16日   

今回のブログで取り上げるのは、名古屋市瑞穂区にある瑞穂陸上競技場。
今までは江戸時代より新しいものを取り上げてきましたが、今回は縄文時代にフォーカスを当ててみます。

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縄文時代と言われて、僕が真っ先に思い浮かぶのはこの曲。
この曲を聴きながら、読んでみてください。


※satoshi hiratsuka様が公開された動画にリンクさせていただいております。

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Jリーグの名古屋グランパスの本拠地としても知られるこの場所は、サッカーだけに限って言えば、名古屋グランパスの試合はもちろんのこと、メニコンカップという日本クラブユース15歳以下の東西対抗戦が行われていたりと、名古屋のサッカーといえば瑞穂、という場所になっています。
周りに何か面白いものはないかなと思って調べてみたところ…ありました、歴史の匂いのするものが。

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競技場のすぐ横のところに、きれいに整備された芝生があるのですが、その奥に「大曲輪貝塚」と書かれた石碑を発見。
「へえ、こんなところに遺跡があったのか」と軽い気持ちで説明文を読み進めると、名古屋市内では珍しい、縄文時代の貝塚がここにあったみたいです。見ての通り、今は芝生が植えられ、その姿はありませんが…。

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そもそも貝塚って何?って人もいるかもしれないので簡単に説明すると、今で言うごみ捨て場です。その中でも貝を捨てていた場所のことを「貝塚」と呼びます。ですが、貝だけではなく、その当時使っていた土器や石器なども発見されることがしばしばあります。

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ここにちょっと理系知識を入れてみると、貝殻の成分は炭酸カルシウムなのでアルカリ性。その場所が酸性の土壌である場合、中和、もしくはアルカリ性に保たれるため、酸性に弱い土器や石器が守られて、良い保存状態で出土されることが多いのが貝塚なんですね。
もちろん、当時の縄文人の方々はそんなことを考えてやったとは考えづらいので、偶然の産物と言ってもいいかもしれません。

大曲輪貝塚
さて、瑞穂陸上競技場横の大曲輪貝塚に話を戻します。
この貝塚は、瑞穂陸上競技場を造成する際に発見されたんだそう。今から70年以上も前の話です。
競技場を作ろうと思ったら、その場所から貝塚が出てきちゃったんですね。
さらに面白いのは、競技場の改築が計画された時に旧スタンドを取り壊したところ、その下にも良好な状態の遺跡が残っていたというところ。一度発見されて、また同じ場所から発見されるというのが、なんとも自分的にはツボでした。

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その後、本格的な発掘調査が行われた結果、縄文時代前期の貝塚が良好な状態で堆積していたほか、縄文時代後期から古墳時代にかけての住居跡などが見つかりました。驚きなのは、一体の人骨が完全な状態で確認されたそう。
先ほどの説明で、貝塚はごみ捨て場だ、と言いましたが、埋葬された人骨が発見されたということは、貝塚はただ単にごみ捨て場であるとは言えないのでは?と感じました。
他の貝塚では、貝符(貝札)が見つかったところもあるそうで。貝符とは、埋葬の際に使われたおまもりのことです。
ということは、貝塚には人を埋葬していたということ…。
ごみ捨て場に、埋葬しませんよね。

…と、これらは僕の推測に過ぎませんが。

実際にその人骨を見てみたいと思って調べると、現在は名古屋市博物館にあるということだったので、散歩がてら見に行ってきました。
その間、瑞穂陸上競技場の周りに他の遺跡もあったので、それらも簡単に紹介。

下内田遺跡
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瑞穂陸上競技場横に流れる山崎川の段丘上に位置する貝塚。この貝塚からは、カキ・ハマグリ・ハイガイ・アサリなどが見つかりました。重に縄文時代後期のもので、土器の他にも、石斧や石剣などの石器や、屈葬人骨が出土しています。

瑞穂古墳群(二号墳)
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この付近には、以前は50m程の間隔で三基の円墳があったため、三つ塚と呼ばれていました。原形はとどめていないが、墳丘の規模は、直径30m、高さ7mと推定されています。他の2つは、野球場を作る際に削り取られてしまったり、規模が小さくなってしまっているんだそう。

瑞穂陸上競技場周りの遺跡を探索したあと、住宅街を北に歩き続けること、数十分。
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たどり着いた先は、名古屋市博物館。

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館内を少し散策していると…
発見しました、人骨。

埋葬された縄文人は、30代半ばの男性で、身長はおよそ162cm。それ以外にも説明文が書いてあるので読んでみると、新事実発覚。
この人骨の胸の上には、小型犬の骨も一緒になって見つかったとのこと。犬を抱いて埋められたようです。この時代にも、ペットという感覚で犬を飼っていたんでしょうか。真相は闇の中……

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それ以外にも、この人骨は、8本の歯が抜けているそうで、これは縄文時代の風習で、歯を抜く痛みを耐えることで、一人前の大人であることを示していたそうです。それ以外の骨の特徴から、約3000年前の「晩期の縄文人」とのこと。骨などからその時代のことを読み取っちゃうって、考古学者はすごいなあと別のところで感心。

さて、今回は身近なところで歴史を感じることができないかと思い、瑞穂陸上競技場横の大曲輪貝塚を紹介しました。縄文時代というと、あまりにも昔のことなので、身近な歴史といえるかどうかもちょっと危ういですが。

古墳や貝塚は、その発掘調査が目的というよりも、他の目的(今回の例だったら、競技場の造成)で掘ってみると、棚ボタで発見されたという例がかなりあるみたいですね。もしかしたら、普段よく使っている施設、学校や駅、自分の家の下からもこういったものが出てくるかもしれない…なんて思うと夢が膨らみますね。

歩き慣れた普段の道でも、目を凝らしてみると面白い発見があるかもしれません。ぜひお試しください。

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