名古屋心中恋物語!その驚きの結末
2013年11月14日
EVENT NAMO.@円頓寺「浮世のWonderland 〜喜八と遊女の心中恋物語〜」
いよいよ今週末(11/16,17)開催です!
このイベントの軸となるコンテンツのまちなか芝居「天晴れ名古屋心中」。
実は、この物語にはオリジナルが存在するのです。
それが、「名古屋心中」。
「心中」と聞くと、どこか暗いイメージが沸きますが、
この物語は、そのような雰囲気を感じさせない恋物語です。
きっとみなさんが想像していない、驚きの結末が。
さあ、その衝撃的な結末とは!?
「名古屋心中」
この事件は、1733(享保18)年11月下旬(夏という説もある)に
中区にある闇之森(くらがりものり)八幡社境内で起こった心中未遂事件。
当事者は、日置町の畳屋・喜八と飴屋町(中区)にある遊郭「花村屋(金村屋とも)」の遊女・小さんです。
喜八が遊郭に通っているうちに、二人は恋い慕うようになります。
喜八は母親に小さんと添い遂げたいと相談しますが、許すはずもありません。
この当時の恋愛は、現代のような当事者同士の合意で結婚ができるような
自由なものではありませんでした。
中には愛する人と結ばれる者もいましたが、この時代の婚姻は家同士の結びつきであり、
家柄や身分、財産の不釣り合いなどにより、今ほど容易に家庭を持てなかったといいます。
このような背景に、喜八と小さんはついに
現世で一緒になれないのなら来世で、と心中を試みますが、未遂に終わります。
「心中」という言葉は、今でこそ様々な意味で使われていますが、
本来は、相愛の者同士が愛情の程度をはかる行動のこと。
遊女が馴染みの客に、心を込める箱である心中箱を渡していたことが最初の形態で、
徐々にその中に爪や髪の毛、指を入れるようになるなど凄まじいものになりました。
大阪周辺では心中が相次ぎ、江戸でも流行し始めます。
このように「心中」は社会問題へと発展したのです。
この心中未遂事件が起こったのは、“暴れん坊将軍”で有名な8代・徳川吉宗の世。
享保の改革により、質素倹約が励行されていた時代です。
当然、吉宗は心中をよしとしません。
「人にあらざる行為」「動物同様」「(心中で)死んだ者は野外に捨てろ」と言い、
さらに「相対死」という言葉を用い、ロマンチックさを打ち消しました。
また、心中未遂者は3日間晒し者にし、身分を落とすのが決まりでした。
さて、喜八と小さんもそうなったのかというと、
それが違うのです!
広小路で3日間、しかもごく短い時間晒されただけで、
2人は許されて親元へ帰されました。
そしてなんと2人は結婚し、男児に恵まれたというのです。
この衝撃的な結末に導いたキーパーソンが、7代尾張藩主の徳川宗春。
宗春は、水色の頭巾、べっこうの唐人笠、虎の陣羽織という派手で豪華絢爛なファッション、
馬ではなく白い牛にまたがり3m以上もある長いキセルをくわえながら
庶民の前に姿を現すなど、親しみやすさを感じさせる人物です。
吉宗の政策に真正面から立ち向かい、お祭りや芝居の興行を奨励、
からくり人形を装飾した華やかな山車に盆踊りの開催と
まちににぎわいと楽しい生活をもたらしました。
このようにして、消費を拡大し、経済の活性化を図ったのです。
宗春がいなければ、今の名古屋はなかったと言っても過言ではないかもしれません。
「芸どころ名古屋」と言われる所以は、ここにあったのですね。
さて、そんな“芸”、「名古屋心中」を元にしたまちなか芝居「天晴れ名古屋心中」が
円頓寺商店街のまちなかを舞台に、手の届きそうな距離で行なわれます!
まるで連続ドラマのような1話完結型の短編7話。
オープニングはパレードから始まり、
ファイナルには観客も参加できるにぎやかな総踊りも!
笑いあり、涙ありのこのお芝居を観に、是非お越しください♪
http://nagoya-namo.jp/event/endoji/index.html