実は名古屋に“アレ”が落ちていた!南区に残る貴重なものとは?
2014年2月12日
※ 今回のブログは、昔名古屋で実際に起きた出来事を元にニュース風にお届けいたします。
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テレビをつけると、ニュース番組が始まったところだった。
「“名古屋の歴史・文化とユニークに出会う”をコンセプトにした
テレビ局『NAMO.TV』が、時空を越えてニュースを配信します。
早速、本日1つ目のラインナップ『江戸のまちに隕石落下』です。
早速現場とつながっているようです。
呼んでみましょう、1632年9月27日にいるなもさん!」
なも:『はい、こちら旧暦では8月14日の現場のなもです。
南野村にある塩浜からお伝えします。
辺りは真っ暗、深夜0時を過ぎたところです。
現場の様子をご覧ください。
隕石が落ちたと思われる場所に人だかりができています。
ちょっと中に入ってみます。
こちらが、先程落ちたと見られる隕石です!
大きさは縦・横とも10cmくらいで、おにぎり形です。
では、落下の瞬間を目撃したというこの土地の地主の
村瀬六兵衛さんにお話をお聞きしたいと思います。
こんばんは。
これが空から降ってきたときは、どのような状況でしたか。』
六兵衛:「ここでせっせと塩を作っとったら
突然ぴかと稲光のようなものが光って手を止めたんだわ。
そうしたら大ーきな音が鳴り響いて
黒雲をあげた火の玉が目の前に落ちてきたんだ!
とっさに地面に身体を伏せたんだが、
衝撃がきてしばらくして周りを見たら
この黒い石があったんだわ!」
なも:『徹夜で働いていらっしゃるところ、大変でしたね。
ありがとうございました。1632年からは以上です。』
「ありがとうございました。
こちらで調べたところによりますと、
隕石が落ちた場所は現在の南区南野3丁目にあたり
その当時塩田として栄えていたところだそうです。
隕石の大きさは、高さ8.3cm、幅7.4cm、長さ13.8cmで、
重さは1.04kg、光沢を帯びた黒色をしているということです。
さて、次は1829年とつながっているようです。
1829年のナモさん!」
ナモ:『はい、1829年からお伝えします。
隕石落下から約200年経過しましたが、動きがありました。
六兵衛さんはあの後、隕石を掘り起こして持ち帰ったそうです。
その後、ご子孫が代々隕石を保管していましたが、
落下現場近くの喚續(よびつぎ)神社に寄進したようです!
今後はこの神社ご神体としてまつることになりました。』
「続きまして、現在の南区を取材したVTRがあります。
ご覧ください。」
——私は今、南区にある名古屋鉄道 本星崎駅に来ています。
さっそく駅名にも「星」の文字が入っていますね。
この周辺の地名は「星崎町」「本星崎町」「星宮町」「星園町」
と星・星・星!星だらけです。
さて、駅から南へ10分ほど住宅地を歩いてきました。
ここが、あの村瀬六兵衛さんのご子孫が隕石を寄進した神社です。
周囲は住宅に囲まれ、ひっそりと鎮座しています。
肝心の隕石はというと、1976(昭和51)年になると、
東京にある国立科学博物館の村山定男の鑑定によって
日本最古の隕石“南野隕石”と認められたそうです!
それまで隕石は木箱に納められていましたが、その蓋の裏には、
「寛永9年に空から降ってきた」と記録が残っていたんだとか。
そして、近所の方のお話によると、今は現物を見ることができませんが、
60〜70年前は本殿に置かれて見られたんだそうです。
残念ながら、鑑定の3年後には861年に福岡県に
直方隕石が落下していたことが判明し、
南野隕石は今では日本で2番目に古い隕石となりましたが、
日本で3本の指に入る古い隕石、名古屋の自慢ですね!
さて、喚續神社から北上して星宮社に着きました。
なんと、この地に星が降ってきたのは
南野隕石のただ1回ではなかったのです!
600年代に隕石が落下すると、それをまつるために
この星宮社が建てられたそうなんです。
境内をまわってみると、瓦が星形になっていたり
常夜燈に月のようなものや北斗七星が掘られていたり
あらゆるところに星が見られます!
さらに、940年代、1200年代にもこの地に隕石が落下したそうです。
まさに星のまち!どうりで“星”が付く地名が多い訳です。
星崎は“星が落ちた崎(みさき)”から付けられたものだったんですね。
「江戸時代に落ちた隕石が、今もまだ現存しているとは驚きですね。
こうしたものや博物館や図書館で見られる資料だけでなく、普段何気なく見かけている地名や場所にも
歴史が刻まれていることも今と過去のつながりが感じられて興味深いです。さて、今日もお時間となりました。NAMO.TV、またどこかでお会いしましょう。」