名古屋有数の芝居小屋があった若宮八幡社

2014年2月26日   

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若宮八幡社。ご存知の人も多いのではないでしょうか。
大須商店街から本町通を北に歩いていき、若宮大通を越えたところにあります。
ちなみに、若宮大通の名称は、若宮八幡社からきているとのこと。

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大宝年間(701〜704年)に、現在の中区三の丸に建てられたと伝えられています。1532年の合戦で社殿は焼失しましたが、その7年後に、織田信長の父である織田信秀によって再建されました。
当時は、天王社(現在の那古野神社)に隣接していましたが、大須界隈の神社仏閣の多くがそうであるように、清須越で現在地に移転しました。その広さは、今の倍ほどあったそうです。1945年、戦争によって社殿等が焼失してしまいましたが、1957年に現在のように復興しています。

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尾張名所図会には、若宮八幡社を描いた絵が掲載されています。それによると、境内に芝居小屋が描かれているそう。周辺に幟(のぼり)が立ち並び、小屋の正面には、櫓(やぐら)があがっていて、本格的な建物だったようです。
その当時は、安い費用で建てたものが多かった中で、若宮八幡社の芝居小屋は名古屋有数のものだったと伝えられています。歌舞伎などが頻繁に行われていたそう。
蛇足ですが、2011年には、市川海老蔵と市川團十郎の共演が実現されましたが、157年前の嘉永7年(1854年)にも、市川親子が若宮八幡社で歌舞伎を行っていたんだそう。時代を超えて、歌舞伎が受け継がれたような気がしました。

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明治時代になっても、芝居が盛んな様子は続きました。
明治5年(1872年)4月29日には、境内に末広座ができました。ここでは、歌舞伎などはもちろんのこと、名古屋初の映画が上映されました。若宮八幡社の境内には、「人々を楽しませる」ものが集まっており、大須の文化の発信の中心地としての役割を担っていました。

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ちなみに、本堂を正面に見て右手にあるのが、今回の舞台となる神楽殿。
当日はここで、ライブミュージックや、狂言、日本舞踊を見ることができます。

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若宮八幡社では、祭も盛んに行われていました。
その中でも、若宮祭は1664年から300 年以上も続く由緒あるお祭。名古屋三大祭とされ、そのうちの一つである天王社(現在の那古野神社)の天王祭と同日であったことから祇園祭と総称されていました。
山車7両が神輿とともに、現在の本町通を練り歩きました。

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そもそも、本町通の問屋を営む旦那衆が、自らの権力を示す機会となっていたのが若宮祭でした。
山車はそれぞれの町内ごとに管理していて、外から人を雇って山車を引かせ、旦那衆はその様子を見て楽しんでいたんだそう。外から来る人も多く、人で溢れかえり、街が賑わいを見せていたそうです。
今でこそ、山車は1 両のみになってしまいましたが、町内で毎年当番を持ち回り、管理を任せることで伝統を守っています。

現在の若宮まつりは、毎年5月15日、16日に行われています。
若宮八幡社に1両だけ残った福禄寿車と神輿が、那古野神社との間を往復します。
福禄寿車は1676年に製作された山車で、今では名古屋市有形民俗指定文化財となっています。

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その他にも、若宮八幡社ではたくさんの祭が行われています。若宮八幡社の中には、多くの摂末社があります。摂末社とは、若宮八幡社の管理に属している小規模な神社のことで、若宮八幡社の祭神と縁の深い神を祀っています。

そのうちの1つ、神御衣神社は、針供養まつりというものがあります。これは、裁縫に携わる人たちが日頃使用してきた古い針を、豆腐やこんにゃくに刺して供養し、針への感謝や裁縫の上達、女性の幸せを願うという祭。
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供養した古針は境内の中にある針塚に納められます。この祭は、毎年2月8日に行われています。

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若宮八幡社の境内では、人が歩いている姿をよく見かけます。
栄方面から若宮八幡社に入ってくると、ビルが建ち並ぶ都会の様子とは打って変わって、自然で溢れています。
人々が知らず知らずのうちに、導かれているようにも感じました。


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